シェンがマレーシアへ帰国|日本が大嫌いな男の子の物語

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ついにマレーシアへ帰国する日が来てしまった。

2015年6月11日、マレーシア出身のリムロンシェンは公式に「日本在住」から「観光客」に変わってしまった。

日本

7年間お世話になりました!!!!感謝の言葉はいくらでも足りないから、シェンは行動をもって、この人生で日本に恩返しします。

ありがとうございました!

帰国する前に、大阪のヒッポファミリーの皆が送別会をしてくれた。そこで皆にある男の日本留学物語をしたのだ。

今日はその話をここで書いていきたいと思う。

 

日本が大嫌いな男の子シェンがマレーシアへ帰国|日本が大嫌いな男の子の物語

2007年、ある高校では卒業生の多くがイギリスだったり、オーストラリアだったり、台湾だったり留学に行くことを決めていた。

ある男の子は迷っていた。

「どうしよう。皆英語圏ばかり行って、僕は英語ができないし、中国語もなんか新鮮じゃないし、どうしよう。」

そんなある日、男の子はワンピースというアニメを観た。

「日本語かっこういいな」

と漠然した適当なイメージだけだったが、日本という国は男の子の心の中に芽生えていた。

別に寿司が好きな訳でもなく、着物に憧れていたわけでもないが、男の子は日本留学を決めてしまった。

ところが、男の子の家庭は経済的に余裕がなかったため、おじいちゃんに1年間分の学費を借りて、生活費は自分でバイトして稼ぐことを約束した。

それでも学費を払えなかった。男の子の真摯な気持ちに日本語学校の校長先生が感動したため、半額の学費減免を男の子に与えた。

東京で1年間彷徨う

そうして男の子は日本に渡った。

日本語が分からない。お金がない。男の子を待っていたのは、毎日5時間から8時間のバイト生活だった。

中華料理屋さんで皿洗い、ミニストップの店員、工場の部品組み立て作業、お好み焼き屋さんで焼きそば作りなど、男の子は言葉の壁に何度もぶつかって、何度も怒られて、仕事転々と移っていた。

言葉だけではなく、日本では自国にない、強い秩序に縛られている何かがあった。社会常識といい、マナーといい、男の子は何をしても、他人の目を気にせねばならなかった。

ようやく男の子は日本人と接することが怖くなり、日本人は心を開いてくれない変な民族だと思って、精神的に疲れ果てた。

 

嘘をつく男の子

シェンがマレーシアへ帰国|日本が大嫌いな男の子の物語

「こんな生活は大嫌いだ」

男の子は頑張る目的を失ってしまい、遊び生活を求めるようになった。

20歳未満なのに、男の子は夜中寮長さんに嘘をついて門限を無視して夜遊びに行ってしまった。バーとクラブでお酒を飲む毎日だった。

そのことがようやく学校にバレて、男の子は校長先生に呼ばれた。

「あなたは何の為に日本に来たか、まだ覚えているかい?」

校長先生の一言で男の子はおじいちゃんの思いと期待を思い出して、涙を流した。男の子の奨学金は取り消された。

大ピンチに陥った男の子は絶望感を覚え、帰国を余儀なくされた。

「もう二度とこの国に戻ってこない」

男の子は自分に言っていた。

 

母国で重要視される男の子

シェンがマレーシアへ帰国|日本が大嫌いな男の子の物語

帰国した男の子は、仕事を探し始めた。香水売りの仕事、英語教材売りの仕事を経て、男の子は何をしても長く続かなかった。

ある日、地元にある日本語学校をたまたま訪れた男の子は、日本語教師になるように校長先生に誘われた。さらに地元にある日系企業へ紹介されて、男の子はその企業の日英中通訳・部品購買部に採用された。

東京で学んだ日本語となんとなく身に付いていた社会マナーは仕事の場で活きてきた。男の子は企業にも日本語学校にも重要視されるようになって、給料は母国の普通の大卒より 2.5 倍も高かった。

「このまま定年退職まで働こう!」

男の子は喜んで働いていた。

 

台湾の大学を申し込む

そんなある日、またのたまたまの思いで、男の子は何か足りない気がした。

「給料はいいが、私は翻訳しかできなくて、毎日同じ作業しかできない。これはつまらない。」

男の子は大学に通う夢を思い出して、大学申請を始めた。男の子が狙っていたのは台湾の大学だった。

学費も安くて、言葉も通じて、友達も多いし、そして台湾は日本ほど社会が堅苦しくないからだ。何軒かの大学を申し込んだが、全部落ちてしまった。香港とアメリカの大学も申し込んで、全部ダメだった。

落ち込んでいた男の子はたまたま母校の高校を通りかかって、日本留学の奨学金募集ポスターを目にした。

「しょうがないか。試してみよう」

男の子は申し込んで、最終面接に行った。

面接室の中で、面接官3人と、高卒立ての学生一人と、男の子がいた。

「南山大学と立命館アジア太平洋大学と二つあるんだけど、あなたはどちらに行きたい?」

面接官は高卒立ての学生に聞いた。

「南山大学に行きたい。」

「よし、じゃああなたは立命館アジア太平洋大学だよな!」

面接官は男の子を指して言った。

 

APU で3年間

シェンがマレーシアへ帰国|日本が大嫌いな男の子の物語

そうやってまたのたまたま、男の子は日本に戻ってしまった。

APU は男の子にとって最高な場所だった。日英二言語授業、国際学生が半分を占める、ここでは堅苦しい日本がないことは、男の子にとって嬉しいことだった。

大学の生活は楽しかったが、男の子は一つ変わらないことに気づいた。

「まだ日本と日本人が嫌いなままだった」

なぜ日本人のコミュニケーションと考え方が好きになれないのか?男の子はとても悩んでいた。もっと自分の考えを言えよ、もっと自由に楽にくらせよ、肩書きと建前を気にするなよ、男の子は日本に不満を募る一方だった。

 

京都留学1年間

男の子はその答えを知りたくて、新しい刺激をもらうために、京都1年間留学を申し込んだ。

京都なら何か日本というものが掴めるのではと男の子は思った。

しかし、男の子を待っていたのは、さらなる「日本人」だった。京都の日本人はもっと建前にこだわり、堅苦しくて融通がきかないことに気づいた。

日本人の友達はできても、心を交わせる人はいなかった。

男の子はもどかしかった。何で日本はこんなにだめだめなのに、海外の人は皆憧れてしまっているのか?

 

動画を作って日本人をバカにする

「よし!動画を作って、世界にこの変な日本を伝えよう」

男の子は Youtube チャンネルを立ち上げて、自ら日本の変なところを伝えようとした。男の子が最初に作った動画も「日本人のへええの4つのレベル」だった。目的は日本人のコミュニケーションをバカにすることだった。

ところが、意外と動画は高い人気を集め、世界中の人からいろんな賞賛のコメントが集まっていた。

「日本語面白い!」

「もっと日本について教えて!」

「日本人の友達が欲しいな!」

自分の意図と全然違った捉え方をされちゃった。もしかしたら、日本が嫌いなのは、自分自身の捉え方に問題があったのでは?と、男の子は気づかされた。

 

ヒッポファミリーと出会い

シェンがマレーシアへ帰国|日本が大嫌いな男の子の物語

そんなある日、男の子は大阪にいる大学の友達の家に遊びに行った。

友達のお父さんとお母さんはとても面白くて明るい人で、男の子にとても優しかった。更に男の子をヒッポファミリーという団体の集会に連れていって、男の子はそこで沢山の面白い日本人に出会った。

それから男の子はいつもヒッポファミリー主催のイベントや旅行などに誘われた。

ヒッポファミリーの大人と子供達と触れ合い、ごく日常的な生活を一緒に送りながら、男の子は日本人が好きになっていった。

「今までこんな普通の日本人と接することができなかったのは、自分が心を開かなかったからだ」

男の子はそう思えてから、日本人は皆実は自分と同じ人間だと気づいた。

 

日本の良さを伝える、男の子は

男の子は目的を変えた。動画を作って日本人の良さを伝えようと。

更に「多言語、多文化、世界平和」に気づいてもらうためにいろんな動画を作っていった。男の子の動画はいろんな人にシェアされるようになり、やがて会社やビジネスのアプローチがやってきた。

更に2015年5月、男の子の活動はマレーシア最大の中華系新聞ー星洲日報に評価されて、全国紙に載るインタビューをされた。

その男の子の名前は、

罰ゲームでやられたw

罰ゲームでやられたw

リムロンシェン、シェンでした。

ご清聴ありがとうございます。w 笑

 

物語の教え

この物語から(お前自分の話やんかw)シェンは一つ大きな学びができた。

自分自身の過去を振り返り、一つ気づいたことがある。それは、シェンは今までなーんとなく物事を決めてやってきたこと。

今の自分、 Youtube で動画を作っている自分、ツアーガイドをやっている自分、ブログを書いている自分、全てこうなったのも、今までのなーんとなくの選択でやってこられたわけ。

逆に考えてみたら、もしあのときワンピースを観ていなかったら? もしAPU の面接に行かなかったら?どうなっていただろう。

シェンは多分日本にこなかったかもしれない。

怖い。考えるだけで怖い。

一つの選択で後々の人生にどれぐらい大きい影響を与えていることか。

この物語から私は学んだ ー 自ら主体的に決断をすること

なーんとなくの選択でも、ここまでシェンの人生にこれだけの影響を与えたことから、これから全ての選択・決断は、きっと5年後、10年後のシェンに大きい影響があるだろう。

それらの決断チャンスを見逃さない為に、これから主体的に決断していきたい。

まず私が主体的に決めたことは、これから世界のどこにいようと、毎年必ず一回日本に帰ってくることだ。こうすることで何が起こるか分からないが、私はこうすることできっと将来の人生に大きく関わっている一つの決断だと思っている。

日本。ありがとうございました。

またただいまという時までお元気で!^^

 

写真タイム!

私の日本における人生に関わってくれた人たち、ありがとう!そして私にとって一番の宝物である大阪で出会った豊田家、ありがとう!沢山の思い出と学び、ありがとうございました!これからもよろしくお願いします。

これからシェンのサイン会のために必要なボールペンをプレゼントしてくれたタイ人の友達 ^ ^

これからシェンのサイン会のために必要なボールペンをプレゼントしてくれたタイ人の友達 ^ ^

チェキでメッセージ写真を撮ってくれた ^^

チェキでメッセージ写真を撮ってくれた ^^

私の人生観と仕事観に沢山教わっている豊田お父さん!

私の人生観と仕事観に沢山教わっている豊田お父さん!

シェンの人生で一生の親友ー台湾人のマオちゃん!

シェンの人生で一生の親友ー台湾人のマオちゃん!

人に優しくする気持ちを教えてくれた豊田ママ!

人に優しくする気持ちを教えてくれた豊田ママ!

豊田ママの親友の山本家がシェン帰国と聞いて、わざわざ家まで会いに来てくれた T.T

豊田ママの親友の山本家がシェン帰国と聞いて、わざわざ家まで会いに来てくれた T.T

帰国する前にぜひシェンとだけ送別会したいと言ってくれたパパママ、大阪一番美味しいバイキングと言われている、阪急インターナショナルホテルのバイキング!

帰国する前にぜひシェンとだけ送別会したいと言ってくれたパパママ、大阪一番美味しいバイキングと言われている、阪急インターナショナルホテルのバイキング!

二年間ずっと遊んでくれためいちゃん(中)、あおちゃん(右)と新しくシェン仲間いりしたあいちゃん!(左)

二年間ずっと遊んでくれためいちゃん(中)、あおちゃん(右)と新しくシェン仲間いりしたあいちゃん!(左)

私のために集まってくれた大勢のヒッポファミリー T.T

私のために集まってくれた大勢のヒッポファミリー T.T

ゲーム沢山した!

ゲーム沢山した!

男の子の物語をした

男の子の物語をしたとき、子供は皆静かに聞いてくれた。泣かないと決めたのに、ちょっと泣いちゃったw

ShenLimTV がマレーシア全国紙に載った朗報!

ShenLimTV がマレーシア全国紙に載った朗報!

優しい人の集まりーヒッポファミリー!将来シェンの子供も仲間入りお願いします! w

優しい人の集まりーヒッポファミリー!将来シェンの子供も仲間入りお願いします! w

言語を学ぶ情熱を教えてくれたミシェル!ありがとう!

言語を学ぶ情熱を教えてくれたミシェル!ありがとう!

手作りのもので人に気持ちを伝えることを教えてくれたゆきちゃん!ありがとう!

手作りのもので人に気持ちを伝えることを教えてくれたゆきちゃん!ありがとう!

人のいいところを見てあげることの大切さを教えてくれたバニラ!そして写真集ありがとうございました!

人のいいところを見てあげることの大切さを教えてくれたバニラ!そして写真集ありがとうございました!

人を想う優しい気持ちを教えてくれたかがりん!ありがとう!

人を想う優しい気持ちを教えてくれたかがりん!ありがとう!

いつも励ましてくれるデコ!ありがとう!

いつも励ましてくれるデコ!ありがとう!

いつも人生を教えてくれるともちゃんとせきのくん!ありがとう!

いつも人生を教えてくれるともちゃんとせきのくん!ありがとう!

そして、全てを包んでくれる日本一優しいスイートお母さん!ありがとう! ^ ^

そして、全てを包んでくれる日本一優しいスイートお母さん!ありがとう! ^ ^

空港まで見送りに来てくれた女子大生3人組!ありがとう!

空港まで見送りに来てくれた女子大生3人組!ありがとう!

Shen Lim
A Chinese Malaysian, Blogger, Vlogger on YouTube, Tour Guide in Japan. He believes 1 day his videos can bring Japan and Malaysia together. マレーシア華人、ブロガー、YouTubeクリエイター、日本にいるツアーガイドです。いつか自分の動画は日本とマレーシアを繋げる架け橋になると信じています。 Read more ABOUT him.

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